2020年へ
2019年へ
2018年へ
二十間道路の2017年の様子へ
ボタン2016年へ
ボタン2015年へ
ボタン2014年へ
ボタン2013年へ
ボタン2012年へ
ボタン2011年へ
ボタン2010年へ
ボタン2009年へ
ボタン2008年へ
ボタン2007年へ
2006年の様子へ
ボタン2005年へ
2004年の二十間道路へ
2003年の二十間道路へ
2002年の二十間道路へ
動画で紹介へ
二十間道路の春へ
二十間道路の夏へ
二十間道路の秋へ
二十間道路の冬へ
二十間道路の動植物へ
二十間道路エントランス広場へ
しずないの1月から5月の気温へ 二十間道路の牧場見学へ
二十間道路のご案内へ
二十間道路へのアクセス
しずない桜まつりの案内へ
桜並木どっとこむ表紙へ


龍雲閣と周辺

龍 雲 閣

新ひだか町静内御園

建築内容
■建物の規格:木造一部二階建・屋根銅板葺
■建坪:378.84平方メートル・延坪:513.35平方メートル
■建築金額:4,939円17銭
■建築年次:明治41年
 明治41年に客舎(貴賓舎)として建築に着手され、翌42年に竣工しました。
当時、当牧場(現在の新冠種畜牧場)は創業後既に36年、御料牧場となってから20年を経過しており、宮中御料馬の生産ならびに北海道産馬の改良の本務の他、日露戦役中、陸軍の要望に応えて軍馬の拠出をした当場にとって、皇族をはじめとして斯界の文武にわたる高位高官の士をお迎えする機会は多く、これら貴賓を招じ得るこの種の客舎の要望は極めて強かったがたまたま、翌年に韓国皇太子李艮殿下御臨場の予定されていた事が、この客舎の実現に拍車をかけた様です。こうした使用目的から、当然それに応じた格式が建物の各部各所で取入れられ、他の建造物とは全く趣きを異にした二層の御殿造りが出来上ったのです。これが当時の人々を如何に瞠目せしめたかは、当初「凌雲閣」(りょううんかく)と名付けられたことからも十分想像ができそうです。その後、数多くの名士高官が、ここに足跡を残されました。 特に二代にわたる天皇陛下が、それぞれ皇太子の御時に行啓されております事は、御料牧場とは申せ都から遠く離れた牧場としては稀な事と言えるでしょう。
昭和47年に新冠種畜牧場起業百年事業の一環として老朽化して龍雲閣の修復工事が行われました。工事にあたり内外とも、できる限り64年昔を復元致しましたが、屋根については当時の楢柾葺に復する事ができないことと今後の耐久性から銅板葺となりました。又、今後の龍雲閣は記念館的な性格を持つ事から、階下のうち4室は本来畳敷きであったものを板張りとして、龍雲閣にまつわる、あるいは皇室にまつわるゆかりの品々を陳列してあります。骨組には現在ではなかなか見る事のできない逸材を惜し気なく使っており又、それらの組み方も一種独特の方法が用いられています。



     

しずない桜まつり期間中、公開されます。

 御皇室・政府高官の御来歴
●韓国皇太子李艮殿下
明治42年8月、伊藤博文公爵随従で御臨場、御視察。
●皇太子殿下(後の大正天皇)
明治44年9月8日御着。凌雲閣4日間の御滞在中産馬の改良、牧場作業全般の御視察、御騎乗、裸荒馬の補索騎乗等を台覧、9月11日御出門。
●東久邇宮稔彦王殿下
大正6年7月御臨場、牧場事業の実況を台覧に供す。
●北白川宮成久王殿下
大正10年8月御臨場、牧場事業の実況を台覧に供す。
●皇太子殿下(後の昭和天皇)
大正11年7月20日御着。龍雲閣3日間の御滞在中、放牧馬群の状況、牧場施設巡覧、各競馬、立乗競馬等を台覧、7月22日御出門。
●澄宮(現三笠宮)崇仁親王殿下
昭和7年8月22日御着。7日間の御滞在中、場内をつぶさに御視察の上、8月28日御出門。
●伏見宮博英王殿下
昭和8年8月14日御着。2日間御滞在の間、牧場事業の実況を台覧に供す。
●義宮(現常陸宮)正仁親王殿下
昭和28年8月5日御着。学習院高等科第3学年在学中、社会科見学旅行のため御来場、場内各施設御視察の上、8月6日御出門。
●三笠宮寛仁親王殿下、同妃殿下
昭和62年12月23日御来場、龍雲閣を御視察。
●高円宮憲仁親王殿下、同妃殿下
平成元年9月21日御臨場
●天皇、皇后両陛下
平成18年9月7日御臨場




生馬神社



御料牧場(現在、独立行政法人家畜改良センター新冠牧場)旧事務所



家畜改良センター新冠牧場旧事務所屋根の修繕工事。
旧事務所は龍雲閣のそばにあり(上写真の右奥に写っているのが龍雲閣)木造平屋建ての洋風建物で築後88年を経ています。大正9年に建設され昭和44年まで使用されていました。
「歴史的遺産『龍雲閣等』の保存と活用を考える会」が中心となり、保存のための修繕が今後進められる予定です。
(2007年6月現在)

畜魂碑



top